『全部間違ってた。』
その言葉から始まった電話は、 阿部講師の潔い反省エピソードから始まる。
たまたま別件で電話した際に、 阿部講師「坂本さん!坂本さん!あの日の後日談があるんですよ。」
ええ?! 坂本も随分興味があった。 だが、しかし、温めていた金沢高校の当日分のコラムをまだ書き終えてなかった私は、
坂本「ちょっと今、この感性を…」
阿部「いや実はね、全部間違ってたんですよ」 ネクストストーリーは、被せ気味で始まっていた。
どうして間違っていたのか、それを簡単に説明すると、
「高校生はカッコイイことをしたい」
それが全てだ。
「いや、まさに」
高校生の頃は、「ダサい」「ナンセンス」といった、感覚的ズレを人一倍気にする時期だ。
そうなると、
「0はダセェ」
高校の頃に、いくら練習だからと、ハイハイ系、四つん這い系、がに股系の動作に、
「めっちゃダセェ」
と思わざるを得ない。
ましてや、可愛い子のガニ股練習なんか、見たくは無い。
ダサくなれるカッコ良さを持てるのは、大人の特権なのだ。
そこに阿部講師は、気づいたのだという。
さらに、阿部講師は話を続ける。
そうなると、
「トレーニングの王道・ビッグスリー」
- ベンチプレス
- スクワット
- デッドリフト
を教えることにしたらしい。
阿部講師曰く、それらはレベル10の高難易度動作という。
例えるなら、赤ちゃんに自転車の乗り方を教えるものだそう。
「それは補助輪付きですか?」なんて、ナンセンスな質問を坂本はしなかった。
とにかく、とてもハイレベルのことをいきなり教えたという。
「なぜなら、カッコイイから」
まさに、ド正論。
「誰やる?お前やれよ」「えぇ、俺ぇ?」
(みんなと比べて高重量を上げる)
オォ〜!!(野太い声が響き渡る)
「お前すごいなぁ!」
やることが恥ずかしい空気から、
デキルヤツがきっかけを作り、
だんだんと実力を見せたい・試したいという雰囲気が伝播していく。
実際見てはいないが、光景が目に浮かぶ。
その時、阿部講師は面白いものを見たという。
『各々が勝手に、0の動作を学び始めた』
そこには、必然性があったのだ。
生まれた子羊が立とうとするのも、原始的な必然性があるからだ。
何をするかは、「すでに分かっている」
知的本能に従えばよい。
「重たいものを持つ」
その為には準備が必要。その準備こそが、0の動作なのだ。
「他のやつらに勝ちたい」
そんな原始的な心理が、いつも人を強くしてきた。
阿部講師は、それと同時に、
「0を学ぶ楽しさを奪ってはいけない」
そう思ったという。
心の中の試行錯誤、間違いと成長の繰り返しは、えも云われぬ楽しさがある。
遊戯王のデッキ作り、ポケモンのパーティ組み、モンハンの装備作り、FPSのフィードキル、などが坂本にとってはそうだった。
(女の子で言うと、人形の着せ替えやファッション、メイク、お買い物がそれに当たるのだろうか?)
誰に教わるでもない楽しさというのは、誰にも身に覚えがあるのではないだろうか。
その楽しさは成長の最も原理的な部分であり、
その楽しさをなんぴとも奪ってはならない。
そう阿部講師は感じたという。
坂本は、こんなにも心地いい“失敗談”を聞き、気持ちが嬉しくなった。
僕たちも、0を学んだのだ。
金沢高校のサッカー部からは、ますます目が離せないようだ。
そして、アヴニールで働くことは、0を体感しながら生きることと言っても過言ではない。