一日の8時間、「なんとか終わらせる」仕事。
それも大切なのは事実です。
しかし、それだけで「人生の芯」が満たされていくでしょうか?僕は全くもってそうは思いません。
「終わらせる仕事」は確かに僕たちを生かし続けるでしょう。けれど、「成し遂げる仕事」こそが、自分自身を前へ運んでくれるものだと思っています。
終わるだけの仕事と、成し遂げるための仕事は、似ているようで全く違います。最低限を繰り返すだけなら、心は安心するかもしれません。身体は安定するかもしれません。でも、それ以上でもそれ以下でもないと僕は思います。その“安心”や“安定”が、自分自身の可能性を眠らせてまうこともあるはずです。
時間を“消費”するだけなら、それはただ“過ぎ去るだけ”のものになってしまいます。しかし、その時間が“投資”に変わった瞬間、それは「濃度」を持ち始めるのです。ほんの半歩でいいから、枠からはみ出すだけで、自分の眠っていた潜在能力に血が通うのです。
だからこそ、ここに集う一人ひとりが、『昨日の自分と競う今日』を作り出してほしいと思います。
比較するのは他人ではなくて、自分の基準は自分の内側にしかありません。
「仕上げる者」になることにこそ意味があると僕は考えます。そして、仕上げた先に「超えていける者」への道が開かれると信じています。
成果は、決して時間の長さで決まるものではありません。それよりも、そこへ向かう「意志の密度」で決まります。遠くへいきなり飛ぼうとするからしんどいのです。まずは今日、その1割を濃く歩んでみて下さい。それで十分、「成し遂げた」ことになるし、それが「自分が自分を肯定する大切な距離」になると思います。
完璧でなくて大丈夫です。
ただ、その1割に集中してほしい。それが、「今の自分」を肯定することに必ず繋がります。
自分のちょっとした枠を、どんな形でもいいから押し拡げてみて下さい。
その「ちょっと」が続けば、いつか自分の境界線が塗り替えられていきます。
成し遂げること。
それは、明日の自分のために、今日を濃く使い切ることです。
「終わった」だけで扉を閉めることなく、「仕上がった」だけで目を閉じることなく、「超えた」という言葉で、一日一日を紡いでゆく。そんな日々を目指してほしいと願っています。
そして、自分の日々の1割が、必ず誰かの道標となる日が来ます。
そんな仕事の持つ、「成果物の価値」と、それ以上に大切なものである「努力の余韻と想い」、この両方が混ざり合って、「人生という現場」を前へ進めるのではないでしょうか。