信じるしかないは、孤独の言い訳【ことばの種】

 

私たちは、誰よりも自分自身の声を聴いている。

“最後は自分を信じる”という言葉は、“最後は自分しか信じるしかない”という人としての悲しみだと思う。

“自分を信じる”。それは誇りではなく、誰にも触れられることがなかった“孤独”の名残り。

『ひとりで立つことは、誰にも寄りかかれなかった痛みから生まれる』

信じたい誰かがいた。
信じていいはずの時間もあった。

けれど、すれ違いや沈黙や、
届かぬ想いの果てに、独りになった。

そのとき残された唯一の道が、“自分を信じる”ことだった。

選んだのではなく、選ばされた道。

だからこそ、そこに滲むのは意志による悦びの色ではなく、
誰にも委ねられなかった孤独による哀しみの色だった。

それでも自分を信じたその姿は、
たしかに誰よりも、傷を知る強さだった。

『強くなったのではなく、強くせざるを得なかっただけ』

“信じるしかない”は、“誰にも頼れなかった”という痛みの言葉。

誰かを信じたかった人ほど、自分を信じるときに心が泣いているだろう。

それでも、“あなた”が自分を信じて歩いてきた道は、誰かを信じたかった証。
その証が、今の“あなた”を優しく包んでいる。

『自分を信じる強さは、誰かを信じたかった優しさの裏返し』

もう一度、誰かを信じてもいいかもしれない。
それは、あなたが自分を信じてきた尊さの先にある贈り物。

『自分を信じるあなたを、誰かが信じたいと思う日がくる』

“信じたい”と思った心が、まだ“あなた”の中にあること。そのことを、どうか忘れないで。

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