
高校生の坂本少年も、スポーツ(武道)に打ち込んでいた。
朝、始発で学校に行き、静かで冷たい空気が漂う校舎に、門を開けて入り、トレーニングの準備を始める。
誰もいない。そんな高揚感とともに、孤独感を感じる。それらすべて受け止めてくれた、武道場のことは今でも鮮明に覚えている。

怪我をきっかけに、朝練を辞め、さらには不登校にまでなった
(坂本少年は、モチベーション管理が下手だった)
だが、不登校だった頃も不登校なりに闘っていた。
つまり、人生どこまで行っても、どこに居ても、欲望と現実からは逃れられない。
それを競争という。 と、少しお坊さんみたいなことを言ってみる。

高校にいると、少年少女たちの会話が耳に入ってくる。
にこやかでジョークまじりの会話だったが、
少年少女らは、 正解も間違いも分からないまま、 親や先生やコーチの言うことを素直に吸収し、そんな競争に自ら身を投げ出し、かりそめのゴールに命を懸けて直進している。
羞恥を覚えたての猛々しい感情が、 彼らには宿っている。
だからこそ、少年少女たちは、 『レベル1の視野』と『レベル10の肌感』を持って、 大人を視ているのだ。
阿部講師は、 「なにか面白いことをしたい」 と言う。
それは、かつての阿部少年を思い出しながら、同じ目線に合わせた上で、なにかをするということ。
まさに、リスペクトのあるコミュニケーションだ。

阿部講師は、旧友であるコーチと再会した。
砕けた言葉尻と口元の緩みが、彼らの仲を表していた。
コーチと少し思い出話と現状について談笑して、
今回のテーマについて阿部講師が説明していく。

今回は、
全ての動作の底上げを行うという目的で、
「0の動作を教えること」をテーマと提案した。
坂本が、動作を見て、感動を覚えたのはそのせいだ。
動きについて、真摯に考えたことはあるか。
「全ての動きは不安定の上に成り立っている。」
静止から動作、動作から静止
というのはすなわち、
安定から不安定、不安定から安定
に落ち着かせることをいう。
もちろんこれは、阿部講師からの貰い知恵だ。
赤ん坊でもできる当たり前のことだが、
“向き合ったこと”がある人は多くはないはずだ。
赤ん坊の頭で理解したものを、
大きくなった脳みそでもう一度理解することには、必ず意味がある。
『常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである』
といった、アインシュタインのように
1度固まった常識を、疑い(不安定)、再び定める(安定)。
見ていなかった景色を、見直し、自分だけのワールドを作っていくのだ。
ここまでの文章をみて、ワクワクを覚えたとしたら、
ようこそ。
君も阿部ワールドの住人である(ニヤル)
コーチもその1人であった。
阿部講師は、コーチに、基礎的な動作を、エグゼクティブトレーナーの技法を持ってして、
0の理論を丁寧に伝える。




コーチの口が止まらなくなる。
基礎という普遍性な理論から、生徒の個性という特異性な理論をひたすら議論する。
生徒想いということが、その情報量から読み取れる。
坂本は、シャッターをどれほど切ったか覚えてない。
一瞬一瞬に、情熱の火花が弾けているからだ。
坂本と阿部講師は、
確かな手応えを感じて、学校を後にした…!!