
赦すことは、決して簡単な営みではない。
怒りを押し殺し、ただ善人のように振る舞うだけでは、それはやがて心を蝕み、偽りの影を濃くしてしまう。
復讐心を隠し持ちながら与える赦しもまた、赦しの名を借りた報復に過ぎない。
そんな赦しは、心を軽くするどころか、さらに重くしてしまう。
『偽善ではなく、手放すことで赦しは始まる』
ほんとうの赦しとは、「もう自分では抱えない」と決めること。
感情を完全に消そうとする必要はない。
ただ、その感情に支配され続けることをやめ、手放していく。その瞬間、心の重荷は外へと流れ出し、やがて時間が少しずつ宥めてくれる。
即座にすっかり許すとは、握りしめていたものを降ろす勇気だ。
痛みはすぐには消えなくても、握りしめない限り、必ずやわらいでいく。赦しは結果ではなく決断であり、その決断をしたときから静かに始まっていく。
『痛みは、時間の流れが必ず宥めてくれる』
赦したからといってすぐに楽になるわけではない。
だが、委ねて待つ姿勢の中で、時がやさしく傷を癒してくれる。
だから赦しは、未来に向けて心を自由にする第一歩なのだ。