
「愛せない」と感じるとき、それは愛の欠如ではなく、“愛の変容”なのかもしれない。
触れることができない痛みが、どこかで愛を拒んでいるのではなく、守っていることもあると思う。
『本当の愛は、愛さないにさえも寄り添う愛』
愛は、美しいものだけに向けられる感情ではない。
ときに手放すことも、離れることも、声をかけないことさえも、愛の一つの形となる。
「愛さない」を選んだその心の奥に、
どれだけの迷いと、祈りと、赦しがあっただろうと考える心を持ってほしい。
『愛とは、ときに距離を置く勇気ある愛となる』
そもそも愛とは、
ただ善いものを選ぶ行為ではない。
愛は、光の届かないところにまで手を伸ばす赦しであり、祈りであり、触れてはならぬものにさえ「もう一度」と差し出される温もりである。
愛さないとされた場所に、
愛が最も深く根を張ろうとすることがある。
愛は、愛さないことにさえ、愛を込める。
愛せない自分が居るのなら、責めているなら、
その罪悪感さえもひとつの愛だったと知ってほしい。
『愛の不在ではなく、愛の変容に生きる』
愛し方は、ひとつではない。
愛さないことを選んだあなたもまた、その奥深い愛の中に立っている。
愛は、完璧ではなくても届くもの。