
何かに取り組もうとするとき、苦しさばかりが心を占めることがあると思う。
けれど、正しさに向かうことには、必ず“光の利”があることを知っていてほしい。そして、それは結果ではなく、歩むことそのものに宿るということも。
『向かうほどに、利点は感受されていく』
自己憐憫は、優しさを纏った感情の渋滞だ。
「可哀想な自分」に意識が向けば、挑むことも、正すことも、意味を見失う。
けれど、正しさを目指すことには、苦しさの中にさえ「明確な利」が存在する。
それは、自己を責めるためではなく、本当の自己を信じるために与えられている道。
迷いながらでも、一歩進むごとに、心の深層には豊かな喜びが芽生えていく。
『正しさとは、痛みを越えても向かいたくなる、利点の方向である』
即ち、利点とは進み歩む者にしか見えない祝福だ。
利点を意識することは、自分に厳しくすることではなく、自分を信じ直すことでもある。
歩み直すことは、いつでも可能で、正しさは決して遠くにあるものではない。
今に向き合おうとする姿勢に、すでに利点は宿るから。
自己憐憫は“あなた”を守る。
しかし、“あなた”を導くことはできない。
『苦しみに向かうのではなく、利点の方へ』
導かれるべきは、“苦しさ”ではなく“真実”であり、正しさの方へと歩もうとする“あなた”のその心に、目には見えない何かが、利を豊かに備えてくれることを信じて。