
同じ重さに見えるものが、同じ痛みになる訳ではない。
光を平らに分けることと、影の深さに寄り添うことは違う。
“あなた”のまなざしは、どちらを見ているのか。
“同じようにすること”が、必ずしも“正しい”訳ではない。
人はそれぞれ、違う歩幅で生きていて、同じルールの下でも、“立っている地面”は違う。
それでも、傷ついた人の痛みを“痛み”として見ようとするまなざし。それが“公正”という名の愛のまなざし(形)。
『公平は秤、公正は眼』
誰かの苦しみに手を差し出すとき、
その手は“等分”ではなく、“等価”であってほしい。
『正しさは、平らな分け方ではなく、深いまなざしから始まる』
分からなくていい。
今、その“差”が見えないなら、無理に見なくていい。
大切なのは、見ようとする“心の角度”である。
『あなたのその傾きこそが、公正の始まり』
“正しさ”を語る前に、“誰の正しさなのか”を静かに問い直してみてほしい。
そのとき、“あなた”の心に灯る柔らかな違和感、それこそが“真実に近づく光”である。
“あなた”のそのまなざしが、誰かの不平等に寄り添い救う眼になるように。