
不便はもともと「欠け」ではなく、ただそこに在る日常の一部だった。だが便利を手に入れた瞬間に、それは不足として立ち現れ、我々は自らの眼で「不便」という名をつけた。
比較が始まったとき、満ちていたものは欠けへと変貌したのだ。
『不便とは、便利の影で生まれる幻想だ』
そう考えると、不便は実体ではなく、便利を基準にした心の産物にすぎない。
影を憎むほどに、光の正体さえもぼやけていく。
しかし、不便には独自の価値があった。
待つ時間は思索を与え、探す手間は観察を磨き、余計な動作が心に奥行きを育てていた。
速さだけでは触れられない世界を、不便が教えていたのだ。
『便利は速度を与え、不便は深度を与える』
その歩みの遅さの中でしか、見えてこないものが確かにある。
そして最後に、不便を拒絶せず抱ける者だけが、便利を豊かに味わえる。
不便を敵とみなせば、便利さえただの当然に堕ちていく。だが両方を受けとめたとき、初めて便利は感謝へと変わる。
『不便を受け入れられる者だけが、便利に感謝できる』
欠けを欠けのまま抱ける人は、与えられたものを真に大切にできるのだ。