頑張ることからの脱却【ことばの種】

蕾は、開花のときを誰にも告げない。
風に吹かれ、陽に照らされ、ただ静かに、気付けばそこに咲いている。

そこには“努力しよう”という意思はない。

花は、ただ咲くべきときに咲く。
この言葉の真理が、我々人間の在り方を教えてくれる。

もちろん、“頑張ること”は美しい。
しかし、その美しさがときに縛りを起こす。

誰かの期待に応えようとして、つい自分の呼吸を忘れてしまう。

「頑張っている自分」でいることが、自分の証明だと錯覚してしまう。

では、ほんとの頑張りとは何だろう。
それは、何かを背負って“力む”ことではなく、力を抜いてもなおそこに立つことができる“息みの拍子”を信じることだと思う。

『真の頑張りは、頑張らないこと』

それは、すでに“あなた”がもう充分に「在るがまま」で尊い存在であることを証明しているということ。

『力を抜くことは、力を信じることから始まる』

頑張る必要はない。
まだ咲かずとも、立てぬとも、それでいい。いや、それがいい。

咲くときが来れば、“あなた”は自然に咲くから。

咲こうとせずに咲くことも、十分に頑張る、愛あることだ。

“あなた”の呼吸が、少しでも楽であるように。
頑張らないことで、もっと先へ行けるときもある。

『急がず、花のように“いま”を待てばいい』

今日という日を、「ただ在る」ことの尊い光と共に。

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