
高く立ちたいと願うとき、人はつい空を見上げてしまう。
けれど、本当に必要なのは、立ち上がる前の“深く沈む時間”である。
塔を建てることは、目に見える形を作ることではなく、「目に見えぬものに耳を澄ます」ことから始まると思う。
『土を耕すことなくして、空を望むことなかれ』
塔を建てるとは、“どこまで地層深くに根付けるか”でもあるのだ。
そして、塔を建てることは、自分を建てること。
それは、強さを誇るためではなく、自己の内省の中で、“何に根ざして生きるのか”を問い続ける旅路。
足元にあるものを信じ、見えない痛みや脆さに触れ、ようやく“立っていい”という重みを背負う。
塔は高くなればなるほど、闇に近づく。
けれどそれは、光の否定ではなく、“光を本当に知るための道のり”なのだ。
『自分を建てるとは、地を愛し、闇を知ること』
塔とは、自分の中に静かに立ち上がる願いの骨格である。
しかし、まだ骨格がなっていなくとも、まだ立つ段階でなくとも、大丈夫。
見えなくても、揺れていても、“あなた”の塔は既に“芽の形”になっているから。
塔は、立つ前から心の奥で芽吹いている。
“あなた”のペースで、深く根を張っていけばいい。
塔を建てると言うことは、決してただ高くすることが全てではない。
「どれだけ深く、確かにそこに在れるか」ということが大切である。
『未来は、地を愛し、闇を知った者の塔にだけ光を注ぐ』
“あなた”がどれほど迷おうと、揺れていようと、塔は“あなた”の歩幅に合わせて立ち上がるから。