
地図を持っていても、自分の居場所が分からなければ、どこへも進むことができない。
「どこへ向かうか」よりも先に、「いまどこにいるのか」を知る必要がある。
たったそれだけの確認が、見えなかったものを浮かび上がらせていく。
『進むために必要なのは、未来の前に現在地である』
自分という存在は、過去からの影でもなく、未来への仮面でもない。
呼吸を繰り返す現在にだけ宿る、“あなた”という自己存在。
自己分析とは、未来のためにするわけではなく、“今”の矢印を捉えるための行為である。
鏡に映る姿が昨日と違って見えるのは、立つ場所が変わったから。
では今、“あなた”の心のどの地点に、どの角度で立ち、どの視座で物事を見据えているのか。
その立ち位置と視座を定めることは、自分を変えることではなく、「自分と出会い直す」ことだと思う。
“今ここにいる自分”を知ることもなく、どこへも向かうことはできない。
自分の現在地を知ることは、人生という地図の“起点”を定めること。
しかし、その起点が分からないといった感覚に、答えを急がなくて大丈夫。
矢印が見えないときは、ただ立ち止まって目を閉じてみてほしい。
『見失っているのではなく、まだ見つけようとしていないだけ』
答えは、“あなた”の中にすでにあるはずだから。
地図のどこにいようとも、“あなた”の現在地には確かな意味がある。
いま、ここに“あなた”がいる理由は、いつか必ず分かるときが来る。
『現在地からしか、未来へは進めない』
矢印が示すのは、未来の“あなた”ではなく、いまの“あなた”自身である。