なすべきを成す【ことばの種】

陽の光は、毎日黙って我々に差し込んでくる。

その光が、何かを求めているわけでもなく“ただそこにある”ように、我々もまた、“ただそこにあるべきこと”が必要なのかもしれない。

なすべきこととは、見つけるものではなく、気付かされるものだと思う。

「なすべきこと」
それは、派手な使命のようでいて、実は日々の“細やかな誠実”の連続なのかもしれない。

何かを行う手、何かを譲る心、何かに黙って耐える背中。

そうした1つひとつに、目に見えぬ使命が宿っている。

与えられたものに誠実であるとき、人はようやく「自分を超えた何か」と出会うことができる。

【小さきことを侮らず、丁寧に積み重ねる者にこそ、大いなることは託されるのが道理】

なすべきを成すとは、自分のためではなく、誰かの未来のために、「自らを丁寧に扱う」ということ。

今なすべきことが分からなくても大丈夫。
それは“ない”のではなく、まだ“見えていない”だけかもしれないから。

ただ与えられた今日を、丁寧に生きてみる。
その歩みの中で、きっとそれはふと姿を現す。

分からなくても、歩みを止めなければ、それは呼びかけの方から近づいてきてくれる。

【使命とは、心に宿る静かな呼びかけ】

“あなた”にしかできないことが必ずある。
それは、誰かが見ていなくても、“あなた”が選ぶことによって形となる。

使命とは、重く背負うものではなく、“あなた”の愛と共に日々を歩む、気配のようなもの。

【使命とは、自分を生きることで、誰かを支えているという真実】

“あなた”にとっての使命が、“果たすもの”から“生きるもの”へと移りゆくことを願って。

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