
霧の中を歩くとき、私たちはたびたび足を止めたくなる。見えないことは、不安を呼び、先へ進む勇気を奪うからだ。
けれども、歩みをやめてしまえば、その先に待つ景色に出会うことはできない。
『分からないまま進むことは、恐れではなく、勇気のかたちである』
不確かさに踏み出す一歩こそが、未来を拓く最初の力となる。
理解とは、はじめから整った形で与えられるものではない。それは歩みの中で芽吹き、少しずつ枝を伸ばしていくものだ。
答えを知ってから進むのではなく、進むことで答えに出会う。霧を切り裂く光は、立ち止まる者には届かない。
『分からずを抱える心は、理解への入口である』
問いを手にし続ける者だけが、深みに触れることができるのだ。
迷いを抱えることは、弱さのしるしではない。
むしろ、その揺らぎが人を人たらしめる。
不完全さを受け入れるとき、理解には厚みが生まれ、奥行きが加わる。
迷いも不安も、すべてが“あなた”を支える力に変わっていく。
理解は、分からずを抱きしめた者の歩みに芽生えるのだ。
だから、不安を持ったままでもかまわない。
問いが解けぬままでも、立ち止まらなくていい。
小さな一歩が積み重なるうちに、やがて霧は晴れ、確信に変わる瞬間が訪れる。
分からないからこそ、進む力が宿り、その歩みの一つひとつが、未来を呼び寄せる。
やがて気づくだろう。
分からずを抱えた日々こそが、理解を迎える準備だったと。
そして、その理解はただの知識ではなく、奥行きを持った光として“あなた”を包む。
『理解は歩み続けた者にだけ降り注ぐ光である』
だから安心して、分からずを抱いたまま、今日も進んでいけばいい。