永遠の途上性【ことばの種】

どこまで来ても、まだ途中。
完成が目の前に現れた瞬間に、次の問いが生まれてくる。

「できた」ではなく、「向かっている」が、
人を豊かにする言葉だと思う。
 

『人生は、いつだって途中の自分にしか会えない」

終わりがないことは、不完全なのではなく、
人生の在り方、命の在り方そのもの。

理想に近づいたと思ったとき、ふと遠ざかる感覚。それは、わたしたちが“完成”を生きていない、求めていない証。

むしろ、完成してしまったと感じるときこそ、
自己という営みは止まってしまう。
 
花は咲くためだけにあるのではなく、咲こうとする時間にこそ真がある。

わたしたちは、欠けたままを愛し、足りないままを赦され、届かないままに歩きつづける存在である。
 

「今のままでよい」ではない。
「今、向かっている」ことが、最も尊い。

『わたしのいま向かう場所。それがわたしである』

未完であること。
それは、終わりのない“希望”を生きること。

完成などしなくていい。
誰かより上手くできなくてもいい。

昨日より少ししか変わることができない日でも、
それでも自分は「途上である」ということを気付けるだけで、価値がある。

『“まだ”の中には、“もう”が芽生えている』

今日の歩みが小さくとも、それはまだ見ぬ“あなた”への糧となり、明日を照らす光となる。

未完の自分を恥じず、未完の自分を愛してほしい。

完成に夢見る人生ではなく、成長を歩み大観できる人生を歩もう。

歩き続ける者の背には、風が吹く。

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