
誰しもが、自分の中に引いた見えない境界線を持っている。
そこから、内側は「自分」とし、外側を「他人」と名付けていないだろうか。
その線の内側にあるものだけを特別に大切にしてしまうのは、きっと人間の習性だろう。
『人は自分という境界の中を優遇する生き物だ』
例えば、傷付いたときに真っ先に守ろうとするのは、「自分の側」だ。
例えば、誰かと意見が食い違ったときに先ず正当化をするのは、「自分の思い」だ。
それは、“じぶんを生きている”からであって、悪いことではない。
けれど、その「自己の範囲」が小さいままだと、その外にある多くの声に鈍くなってしまう。
依怙贔屓。
それは罪ではないが、一度問いかけてみるべきだ。
自分が“えこひいき”しているものは、ほんとうに大切にすべきものなのかと。
『自己の輪郭は、愛の拡がりで変わる』
愛は、境界線をも消し去る力があるから。
だから、自己をどこまでとするかで“えこひいき”の範囲も変わるのだ。
今日もわたしたちは、無意識のうちに自分に近いものを優遇しているかもしれない。
それでもいい。
それに気付いた瞬間から、境界線を引き直せばいいのだから。
少しずつ、自分の外側にも“えこひいき”を広げてみたらいい。
『自分を大切にするように、誰かも大切にしてみる』
依怙贔屓。
それを悪として断ち切るのではなく、えこひいきの領域を拡張することで、“あなた”は変わっていける。
“あなた”の輪郭が、外側へ滲んでいくように。