
静かな風のように、意志は訪れて、
まだ輪郭のない願いが、心の奥を撫でてゆく。
自由とは、“何もかもを選べる”ことではなく、“ほんとうに選ぶべきもの”に気付くための感性だと思う。
それが、“確かな判断”への小さな導きとなる。
『選ぶことは、見つめることから始まる』
我々は、ときに“選ぶ自由”に戸惑い、迷う。
選択肢が多すぎて、何が正しいのか分からなくなってしまう。
しかし、自由とは“放任”ではなく、自身と“向き合う姿勢”。判断とは“支配”ではなく、自身への“信頼感”。
自由であるとは、自己の内側と丁寧に対話して、外側の声に聴かず、“内なる誠実さ”に聴き従うこと。
確かな判断とは、その自由の“実り”からなるものである。
『自由とは、責任をもって迷えること』
それは常に“恐れを抱く愛の行為”とも言えるのではないだろうか。
確かな判断。
それは、“愛の中で揺れてなお、踏み出すこと”だと思う。
迷うことに躊躇しなくていい。
今はまだ、何を選ぶか分からなくても、不確かでも大丈夫。
確かな判断は、常にその中から生まれる。
自由とは、“あなた”の心が尊ばれているという心実。
判断とは、“あなた”の心が信じられているという核心。
『“あなた”の一歩は、“あなた”にしか踏み出せない真の歩み』
今日も今日通り、“あなた”の歩みが“ほんとうに選ばれた一歩”となりますように。