
真っ白なキャンパスに、まだ何も描かれていないとき、その余白こそがすでに“在る”という価値を生み出している。
“自由”を求める叫びは、しばしば“塗られたくないという拒み”となるが、“自在”とは、どんな色にも染まりながら、なお“自分”でいられることだと思う。
『ほんとうの自由は、内側から生まれる自在に宿る』
自由とは、“何でもできること”ではない。
むしろ、“何をしないか”“何に縛られるか”を選ぶ“覚悟”に近い。
人は、思い通りにいくことを望み、それが自由だと世間一般は言うだろうが、そうではない。
たとえ思い通りでなくても、自分自身が在りたいように在る“自在性”こそが、ほんとうの自由だ。
誰かに決められた枠ではなく、自らの奥深さで選択する。
そして、その選択内で揺らぐことなく佇む姿勢をとる。
“あなた”自身の器に、あらゆる状況を迎え入れて、
自己内で澄み渡るように。それこそが、“自在という名の、深い自由”の獲得である。
『自由とは、縛られずに在ることではなく、縛りさえも受け入れる自在さのこと』
無理に自由になろうとせず、誰かの期待に応えるために、自在さを装わなくていい。
どんな不自由の中にも、“あなた”が息づいていれば、それでいい。
『自在であるためには、先ずは不自由なままの“あなた”を承認すること』
その“自己承認の愛”から始まる。
ほんとうの自由は、他人から与えられるものではない。
それは、あなたの中にしか咲くことのない、固有の花。
今こそ、心の奥に問うてみてほしい。
“あなた”は、“あなた”を生きているだろうか。