憧れのフォームを捨てた日~今井選手の葛藤~(週刊アヴトーク2025年第02号)

坂本は、阿部講師と今井氏・貴志氏の研修に訪れた。

 

研修テーマは「基本を持たない指導を求めて」

 

基本を学ぶ新人に、
“基本”の定義から、投げかける。

「安易な基本には、危険を潜む」

そういうテーマが走りであった。

 

「僕も、大切にしていたシュートフォームを変えたことがあったんですよ」

 

今井氏の10秒ほどの発言だっただろう。

だが、坂本にとっては、今井氏の10年分の濃密な時間をギュッと詰め込んだストーリーを聞いた気分になった。

研修後、坂本は、今井氏を追いかけて、近くのオシャレな喫茶店に誘うわけでなく、LINE電話で話の続きを聞くことにした。

目次

”憧れ”と出会った日

バスケットボールを始めた少年時代から、今井選手には譲れない“こだわり”があった。

それは、尊敬するコーチから直接教わったシュートフォームである。

 

右足のつま先をゴールに向け、手・肘・ボールが右足のライン上で一直線になる。

教わったフォームは、彼にとって“かっこよさ”の象徴であり、憧れそのものだった。

中学生の頃からその型を守り続け、高校でも自分なりの工夫を加えながら磨き続けた。

 

勝った日はフォームを誇りに思い、負けた日はフォームと一緒に泣き、一緒に反省をした。

ずっと一緒にやってきたことで、ただの技術ではなく、これまでのバスケット人生を共に歩んできた“親友”のような存在だった。

フォームが通じなくなる

大学2年生。彼のバスケット人生に、ひとつの大きな転機が訪れる。

プロを目指す決意を固めたのだ。

 

5人制バスケットから、3人制のプロになるため、よりスピーディーな展開と個人の得点力が重視された。とりわけ3ポイントの価値が高い。 つまり、シュートがより重要になった。

そして、それまでのフォームでは、そのスピードや精度についていけなくなっていた。

「試合で全然決まらない。入らない。」

 

あれほど自信のあったシュートが、コートで力を発揮できなくなった。

「コートに立つ資格がない」

今井選手は語る。

「正直、あの時期はコートに立つ資格すらないと思いました。」

かつては“シューター”として評価されたこともあり、シュートには誰よりも強いという自信とこだわりがあった。

だからこそ、崩れていく感覚が体越しに感じたという。

 

自分の“武器”が通用しないことを認めるのは、自分を否定するようで辛かった。

「昔は入っていた」という記憶が、さらに彼を苦しめた。

「このまま変えなければいけないのはわかってる。でも、もし変えても入らなかったら?」

その問いを、飽きるくらい繰り返し続けたという。

それは、憧れだったコーチに歯向かうような感覚でもあった。

 

決意の瞬間

それでも彼は前に進む決断をした。

「今のまま、浮き沈みに振り回されるよりも。

未来で“もっと上手くなっている自分”を信じたほうがいいと思ったんです。」

その一歩を踏み出した時、彼は初めて「自分のこだわり」を手放した。

 

新しい自分との出会い

フォームを変更すると決心してからは早かった。

ダメだったところ、悪いところ、改善できるところが次々と頭に思い浮かび、すべてハッキリわかったという。

今井選手は言う。

「大切なのは、未来に期待することではなく、ただ“新しい自分”に出会うことだったんです。」

そして今、彼はシュートにもう一度向き合いながら、バスケットの面白さを改めて感じている。

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