
時間に追われることは怖いことだと思っていた。
けど、本当に怖いのは、追われるものが何もない瞬間だと思う。
何もする必要がないはずなのに、何かをしようと焦り出すのは、大抵「暇」の中にいるときだ。
『悩みは、心に空白があることの証』
“暇”とは、余った時間ではなく、満たされない心に生まれる“隙間”のようなもの。
その隙間に、過去の後悔や未来への不安が忍び込み、気付けば「悩む」という行為で、その隙間を埋めようとする。
だがそれは、本当は「今ここに生きること」から目を逸らす仕組みに過ぎない。
【暇があるから悩むのではなく、悩むことに暇を与えている】
満ちている者は、悩む暇など持ち合わせない。
使命に燃える者は、心を迷わせる暇すら惜しむ。
「暇をなくす」とは、時間を詰めることではなく、心を愛と責任で満たすことなのだ。
悩んでいるうちは、まだ空白を持て余しているということ。
それでも、ふと立ち止まってしまう日がある。
ただ何もしたくないと感じる時もある。
その暇さえも、“あなた”の一部であり、悪いものではない。
立ち止まることは、心の再起動に必要な“無”であることは確かだから。悩むことができること自体、実は恵みなのかもしれない。
暇をなくす。
それは、余白を恐れて埋め尽くすことではない。
【与えられた時間に、自らの意味を吹き込む者が、真に人生を満たしていく】
余白に覚悟と責任、そして意味を与え、そこに“生きる理由”を植えていくことこそが、暇をなくすための本質的な部分であり、その余白は、きっと“あなた”自身が愛に変えることができる。