
人は「真っ直ぐ」という言葉を簡単に使う。
しかし、本当の意味でそれを知るには、自分が真っ直ぐに立ってみなければならない。
軸を持たずに「真っ直ぐ」を語ることはできない。
光が差すとき影が生まれるように、軸があるからこそ、揺らぎや歪みも見える。
『真っ直ぐは、姿勢ではなく心の在り方を映す』
真っ直ぐを知るとは、倒れなかったことではなく、何度も傾き、揺れ、崩れかけた後に、もう一度立ち直った経験に支えられている。
木は風に身を任せてしなやかに揺れるが、根が真っ直ぐである限り倒れることはない。
同じように、人も外の風に翻弄されても、内なる根が定まっていれば必ず戻ることができる。
真っ直ぐを知る者は、揺らぎに強い。
だから真っ直ぐとは、「曲がらない」ことではなく、「戻れる」ことなのだ。
揺れても、折れそうになっても、再び立ち上がることができる。その繰り返しが、やがて揺らがない深さを育てる。
『真っ直ぐとは、戻るたびに磨かれていく生き方』
真っ直ぐに立てなくてもいい。
揺れることは弱さではなく、むしろ生きている証拠。揺らぎを抱えたままでも、人は真っ直ぐを目指せる。
そして真っ直ぐを知ったとき、人を見る眼差しも変わる。
裁こうとするのではなく、ただその人の尊さを真っ直ぐに受け止められるようになる。
それは、己の中に「戻れる場所」を知ったからこそ生まれる眼差しだ。
『真っ直ぐを知る者は、人を真っ直ぐに愛せる』
その眼差しは、揺らぎも弱さも含めて受け止め、共に立ち直る力へと変わっていく。