命の営養【ことばの種】

私たちは、日々何かを食べる生きる。
けれど、それは口からに限ったことではない。

目から、耳から、皮膚から、心から。
命は、見えないものを糧として営養を受け取っている。

『何を食べたではなく、何に養われてきたかが、命の質を決める』

誰かに見守られた記憶。
悔しさを抱え歩いた日々。
静かに沈んだあの夜。

そのどれもが、「営養」となり命の蓄えとなる。

命は、「自分を生きる」ことを通じて、自らを養う力を持っていると思う。

時に誰かの声が背中を押し、時に自分の影が自分を育てる。
過去の痛みすら、今という命を豊かにする材料となるのだ。

命の営養とは、生きるという「道のり」を、丸ごと食べていくことであり、「今ここ」を生きる力である。

『命を育てるのは、栄養ではなく、歩んだ記憶そのもの』

いま、うまく言葉にならなくとも、“あなた”が無意識に受け取ってきたものが、確かに“あなた”という命を育むから大丈夫。

気付かないが、確かにそこにある深い「養い」は、それだけ立派な「営み」の証となる。

自分を責めることなく、今日も何かを受け取り、“あなた”は“あなた”だけの命を育てて生きている。

『命は、自分を生きることで、自分を養う』

生きゆく限り、命は必ず「養われ」続ける。
それが「営む」ということだから。

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