
どれだけ水を飲んでも、何故か渇いたままの心がある。
それは身体の渇きではなく、もっと奥深い、名のない場所の渇きだ。
そんな渇いた心に触れることができるのは、水ではなく、たったひと言の“ことば”だったりする。
『ことばは、ときに水より深く沁みる』
生きることは、絶えず何かを求めることだと思う。けれど、その求める心に気付かず、渇きに慣れて、渇いたままの日々をただただ過ごす。
人は、水だけでは潤わない。
目に見えない“こころ”の奥にある渇きは、目に見える水では潤すことはできない。
潤いとは、湿りであり、こころの奥に染み入る温度である。
ことばは、それを持ちうる素晴らしいもの。
『ことばは見えないところで、誰かの泉となる』
ほんとうの渇きは、水では潤わない。
“あなた”の声が、誰かのほんとうの渇きを潤し癒す。
それに気付かずとも、見返りがなくとも、その“あなた”のひと言は、確かに誰かに沁み渡る。
『潤いを運ぶのは、愛を湛えることばだけ』
“あなた”のことばが、今日も誰かの「心の水面」を優しく震わせるかもしれない。