
生き残るために立つか。
生き抜くために満ちるか。
この二つを混同する者は、やがて自らを見失う。
『立つ力を欠けば倒れ、満ちる力を欠けば枯れる』
「自己自存」とは、孤独の只中でも「私は在る」と言える力だ。環境も承認も切り捨てた果てに、なお残る「存在の芯」である。
だが、それだけでは乾いた石のように硬直する。
「自己充足」とは、内から泉のように溢れる満ち足りた力だ。それは欠けから動くのではなく、「溢れ」から与えられる在り方である。
だが、それだけでは根を張らず、雲のように消えていく。
支える力を欠いた充足は「幻想」であり、満ちない自存は「虚無」である。
『立ち続け、満ち溢れることにこそ、人の真の強さがある』
だが、人は弱さの中でこの二つを往復する。
倒れる日もあれば、渇く日もある。
それでも一歩でも進めば、両輪は必ず噛み合う。
欠けながらも進む姿に、強さは芽生えるのだ。
『立ち満ちる者こそ、真に生きる者である』
自存と充足は、どちらも「なければ生きられない刃」だ。
鋭さを避ける者は、結局ぬるさに沈むだよう。
その刃の上に、今“あなた”は立っているのだようか。