
人は、言葉より早く反応し、心より先に動いてしまう存在だと思う。
けれど、本当に人を支えるものは、「すぐに動ける力」ではなく、「動かない選択をできる力」、即ち“自制”である。
そして、“共感”とは、ただ気持ちを理解することではなく、その気持ちを心の奥深くで「咀嚼する力」だ。
『感じることと堪えることは、どちらも待つ愛である』
自制とは、自分を押し殺すことではない。
内なる衝動に耳を澄ませ、その声を他者の尊厳の中で飼い慣らす力。
つまりそれは、倫理を超える“愛の力”である。
共感とは、痛みを分かることではない。
その痛みに居場所を与え、自分の感情を棚に置いてでも、他者の感情に触れる力。
つまりそれは、順義を上回る“愛の力”である。
真の自制は、他者を生かすために自分を律することであり、真の共感は、自分を忘れ他者の心に立つこと。
『自制は愛の武器、共感は愛の眼差し』
日々の衝動に飲まれてしまった自分を責める必要はない。自制は訓練であり、共感は育まれていくことだから。
少しずつ、自分の輪郭が“愛対する者のため”に柔らかくなるだけでいい。
『まだできないは、これからできるという愛の種』
自分を律するということは、自分に厳しくなることではなく、誰かを守るために、自分の奥深くに立ち居ることである。
そして、他者を感じるとは、自分の心と他者の心を区別することなく抱ける心を持つこと。
自制と共感が存在するところに、人は人として生きていける。