
目を凝らしても見えないものがある。
けれど、目を閉じた時にはっきりと浮かぶ輪郭もある。
「大切なものは目には見えない」と語る言葉が、何故か心に響くのは、その真実を我々はどこかで知っているからではないだろうか。
『見ようとするほど、遠ざかるものがある』
視界に入る世界は、どこか“確証”のようなものを与えてくれる。
けれど、その確かさに囚われすぎると、やがて“心で感じる真実”は薄れていくと思う。
例えば、“愛”は見えない。
信頼も、赦しも、想い、恵みも。
それでも、それらが“存在”していることを、我々は理解している。
見えないからこそ、確かめようとする心。
心で見ることでしか、見えないものがある。
それが「本質」と呼ばれるものなら、わたしたちは見ようとする目よりも、「見つめる心」を育てていく必要があるだろう。
何故なら、見えないものほど、深く感じることができるからだ。
『目に映らないものが、あなたを動かす』
無理に見ようとする必要はない。
今すぐ答えを出す必要もなく、輪郭が曖昧でも大丈夫。“あなた”が感じている“何か”は、もうそこに芽吹いている。
言葉にならないことにこそ、確かな真実がある。
『心が先に気づいている』
見えないものを信じる力は、“あなた”の中にずっと息づいている。
そして、その力が“あなた”の未来を照らしていく。大切なものは、今日も明日も、“あなた”の側にある。
見えないもので、見える世界はつくられているから。