持っていないようで、目に見えぬ何かを深く携えている人がいる。
その人の沈黙には、言葉を超える響きがあり、
空の手には静かに育まれた誇りのようなものがある。
『空っぽに見える拳ほど、ほんとうの“何か”を抱いていることがある』
私たちは、「持つこと」に安心を求める。
地位、能力、人間関係、証明、、、
それらが剥がれたあとに残るものこそが、
その人の“真の輪郭”だと思う。
何も持たないということ。それは、この世の力に頼らずとも、内に宿る光と共に在る証。
即ち、“あなた”が光の存在ということ。
『外にあるものを失っても、内にあるものは奪えない』
何も持たないときにこそ、
本当の愛、本当の自由、本当の強さを、手にする。
何も持たない者こそ、既にすべてを手にしている。
今、何も持っていないと感じていても、それは失われた姿ではなく、“ほんとうの自分”が見えてきたということ。
“あなた”がそのままで在ることを、
“あなた”は静かに祝福している。
『持たないことは、在ることのはじまり』
手放されたものの先にこそ、
“本当に持つべきもの”が姿を現す。
“あなた”が何も持たないとき、
“あなた”の魂は、最も豊かに光を放つ。
『強さとは、すでに在るものに気づく大観力』
何も持たなくても大丈夫。
“あなた”という存在が失われることはない。
何も持たないままの“あなた”はすでに尊い。