
光が差し込む前の薄闇のように、言葉はいつも不完全で、輪郭だけを置き去りにする。
どんなに整えた文でも、心の深部に触れなければ、ただの音に過ぎない。
器ばかりを磨いて、水を注ぐことを忘れてはいないだろうか。
言葉は矢であり、橋であり、時にただの影でもある。
矢が的を射抜かなくても、橋が渡られなくても、影が誰にも気づかれなくても、そこに込められた真実は消えることがない。
『ことばは器であり、意は水である』
心に届くことばとは、相手の深みに沈み、静かに根を張るものだ。だからこそ、発する前に自らの意を澄ませる必要がある。
『届かせたいのは耳ではなく、心である』
それでも、多くの言葉は意に至らないまま過ぎていく。
だが、それで無駄になることはない。
その言葉は誰かの中で眠り、時が来れば芽吹くのだから。
『言葉は時を超えて芽吹く』
届かぬ言葉に嘆くことはない。
沈黙が語ることもあるのだから。
信じて紡ぎ続ければ、その言葉は必ず未来に橋を架ける。