
「働くこと」は、生きるための手段なのだろうか。「はたらくこと」は、生きていることそのものなのだろうか。
子を育てること、誰かを想うこと、誰かを愛すること、誰かの痛みに寄り添うこと。
そこに金銭は発生しなくとも、“命が動いている”という事実があると思う。
『動かされるのは、心であり、条件ではない』
「見えないはたらき」は、世の中の骨組みを支えている。
“働き”は、しばしば「交換構造」の中で測られることがある。例えば、成果、報酬、効率、生産性などである。
しかし、“はたらき”は、そういった基準では測ることができない、「交換構造」の外に存在する。
誰かの心をそっと解す対話。
誰にも気づかれることのない気遣い。
それらは「見えないが、確かに届く」光の流れ。
“はたらき”は、誰かに認められなくても、存在するだけで世の中を支えるものだ。
そして、“働き”と“はたらき”が同じ構造内に置かれた時に、「生きることの本質」と真に出会う。
『“はたらき”は、名もなく金もなく、ただ誰かを想う心だけで動くもの』
たとえ誰にも知られずとも、“あなた”がそっと差し出した優しさが、誰かに恵みをもたらすことがある。
そのはたらきは、名前などつけなくていい。
ただ“あなた”がそれを知っていればいい。
伝わらなくても、大切なものはそこに在るから。
この世の中は、“働き”を数えるけれど、“はたらき”を数えることはできない。
でもそれが、ほんとうに美しいことなのかもしれない。
『数えきれないものの中に、本当の価値は宿る』
今日もどこかで、“あなた”のはたらきが世の中を支えていることだろう。